teiko -田中禎子-

T2Styleを通じ、私の想いに共感する人たちと一緒に、身体を動かしながら、笑っていたい。

teikoの指導人生

小さいころから活発で、小学~中学まで、100M走は学年1位。体力テストもA判定。
運動会での総合リレーは、アンカーを走るほど、足が速かった。
その足の速さを生かし、高校から始めた「ソフトボール」では、センターで、2番打者。全国大会出場し、くにびき国体の強化選手となる。
運動が好きで、体育大に進学。

地域の公民館で、運動指導員をしているおじさんが、輝いて見えて、自分も地域の人に「運動」を指導する仕事につきたいと思った。
迷うことなく、運動指導の仕事につき、スイミングのコーチからエアロビクスのインストラクターになった。

務めていたスポーツクラブは、その当時としては、おしゃれで画期的なスタジオだった。
オーナーの理解もあり、東京に研修のためのアパートを借り、自分の好きなスタジオで、レッスンを受けることができた。
自由な発想や、インストラクターとしてのベースを作ることができたのも、このスポーツクラブでの学びのお陰だ。

残念なことに、スポーツクラブを閉鎖することになり、その当時、だれもしていなかった「フリーのインストラクター」として歩み始めた。
不安もあったが、他の職業に就くことは考えなかった。

エアロビクスは全盛期!!スタジオできるウエアは、独特で、専門店でしか売っていなかった。
参加する楽しみの一つに、「ウエア」があった。

私は、エアロビクスをもっと楽しく参加してもらうために、「レオタードショップ」をすることにした。
2歳の子供を連れて、米子の専門店を訪れ、委託契約を申し込んだ。
そのころ、委託での取り扱いが主流だったため、買い取りなし、売れた分だけで、商品を貸してもらうシステムに魅力を感じ、保育所のお迎えまでの3時間、しかもインストラクターとしての仕事のない日・・・つまり週日、3時間しか空いていない店をオープン。友人のお店に、ハンガーラック2個分だけ間借りをしてたので、賃貸料はほぼただ。
私の商売魂が生まれた。

それでも、バーゲンの日は、店の前には列ができ、バーゲンの次の日は、はぼクラス中の人が新しいウエアで参加。みんなの顔がキラキラしていた。うれしかった~~~。


お店を京店に移転し、バイトさんを雇って、毎日、朝から夕方まで空いているお店にした。
その時から、「エアロビクス指導」がしたいと、インストラクター希望の人が、弟子入りを志願してくるようになった。

イベントを主催していたこともあり、東京・大阪から有名な先生を島根に呼んで、レッスンをしてもらっていた。これもとても好評で、たくさんの人が予約待ち状態で参加を希望し、スタジオ中あふれる熱気。生き生きとするその姿は、私の心を躍らせた。
そこで、出会ったのが、パーソナルトレーナーの師匠「中野ジェームズ修一氏」
10年間ほぼ月一ペースで来てもらうほど、親交を深め、たくさんのフィットネスファンの方に活気と喜びを与えてくれた、島根の貢献者である。

きちんと学んでいない私は、彼のフィットネスへの考え方と、分かりやすく、正し情報を元に、クラインをモチベートし、クライアント主流の指導方法に共感し、島根のインストラクター養成コースをお願いした。
その時誕生したインストラクターは、いまでも活躍している。

学びを深める中で、もともと持っていた「なぜ?なぜ?」が深まり、分からないことを追求して行くようになった。

小さいころから抱えていた「先天性股関節脱臼」
左股関節が、悲鳴を上げ始めたのが、20歳頃、そして、いよいよ「エアロビクス指導」まで、影響を与え始めた30代。整形外科で理学療法士さんの施術を2年受けるが、一向に良くならず。。。何のためにその治療をしているのかも説明してもらえなかった。
なぜは深まるばかり・・・

そのころ日本コアコンディショニング協会が、「フォームローラー」をアメリカから持ち帰り、「コンディショニング」の考えを伝え、流行り始めた。骨格を整え、インナーマッスルを鍛え、コアの安定させ姿勢を改善していくという考え方。これだ!!!!と思った。
それは、とても画期的で、自己コントロールが目的となる。
ガンガン動くトレーニンやエクササイズではなく、身体の様子を感じながら、筋肉を緩め、骨を正しい位置に導き、筋肉が働きやすい状態。つまり元々持っている正しい位置に戻すことで、効果的でかつパワー出力も高いという、無駄のない効率的な身体の使い方を、自分でコントロールできるというものだった。

そのころ、ウエアはたくさんのメーカーが出し始め、購入者も特別なウエアでなくてもフィットネスを楽しむようになっていたため、売り上げも少しずつ低迷、お店の維持も難しくなっていたため、閉めようと思っていたところ、ウエアメーカーからお店を買い取りたいと、そしてそこのオーナーとして働いてほしいと依頼。そのころ「パーソナルトレーナー」の夢を持っていた私は、断ったが・・・ウエア以外にクラブ運営を考えていたメーカーは、コンディショニングスタジオをオープンすることを提案してきた。

股関節の痛みから、レッスン中はアドレナリンは出て、痛みを感じないが、レッスン後は、片足を引きづりながら帰っていた日々。なぜ、健康を伝える「エアロビクス」で股関節の痛みが軽減できないのか???こんな運動を人に伝えていいのか???正義感の強い私は、「コンディショニング」に答えを見つけた。
人それぞれ、特徴があり、同じ動きでもいたくない人もいれば、痛くて運動をやめなければいけない人もいる。でも「なぜ?痛いのか?」それがわかれば、改善の方法もわかり、また痛みなく運動を楽しむことができる。しかも以前より、身体のことがわかるから、改善の方法もわかり、今何をしないといけないのか?このままほっとくと、治らない状態まで行くので、今やるべきことをやるという習慣も付く。それは自信になり、痛みの不安も冷静に判断できるようになる。
あの時、コンディショニングスタジオをOPENしていたからこそ、今の私がある。
延べ、15000人のクライアントとセッションを重ね、一人ひとりに合った運動指導をすることで、笑顔をたくさん見ることができた。もちろん笑顔にしてあげれなった人もいる。なぜ??を追求し続けているから、今もパーソナルトレーナーを続けている。
一人でも多くの人に、その人にあった運動指導を伝えたい


コンディショニングスタジオは、会社都合で5年で閉鎖することになった。
その時クライアントとして通ってくれていたのが、今のオーナー。
私には技術がある。オーナーには不動産と運営能力がある。
2つを合わせたら、楽しい事ができるのでは・・・身体を動かして楽しんでる人の姿を、2人とも想像していた。

そして、「ピラティス&ヨガスタジオT2Style」が誕生した。
オープンに当たり、何をコンセプトにしていくか?
研修に行かせてもらったときに出会ったのが、今の美脚美姿勢の師匠「石井完厚氏」
理論背景がしっかりしていて、私たちにもわかりやすく、根気強く教えてくださる先生。なんと、江津出身なので、年2回の里帰りに必ずセミナーをしてく出さるという幸運に恵まれ、私の技術はますますUPしてきた。
改善するクライアントが増え、一生のお付き合いを望んでくださるクライアントが増えた。パーソナルトレーナー開始当初から、18年間一緒にセッションしている人もいらっしゃるように、一生のお手伝いができるようになりたいと思うようになった。
そして、より多くの人にこの理論を伝え、笑顔の連鎖を作りたいと思い「骨格メーキングStyle7®」を考案し、インストラクター育成を行っている。


なぜ?なぜ?と思う私の追求心と
私が学んで体験したことで、人々が笑顔になってくれるのであれば、先の先まで伝えていきたいとの思いが、今の私を作り上げている。

これからも、私の想いに共感する人たちと一緒に、T2styleを通じ、身体を動かしながら、笑っていたい。

プロフィール

パーソナルトレーナー

松江市出身
好きな物は「犬・猫ちゃん」「アロマ」
趣味は「山登り」

Blog:https://t2style-teiko.amebaownd.com/
Instagram:@teiko.style7

講義・指導分野

体幹トレーニング
フィジカルトレーニング
ダイエット
痛み改善トレーニング
姿勢改善トレーニング
栄養指導
プログラム開発
指導者育成
運動指導講師

資 格

一般社団法人フィジカルトレーナー協会認定 プロフェッショナルトレーナー
RRR認定 美脚・美姿勢マスタースペシャリスト
栄養コンシェルジュ Double Stars
日本コアコンディショニング協会認定 B級講師

Parsonal Training